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特攻隊戦没者慰霊平和祈念協会 掲示板

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特攻の真実
yayoi2011年12月10日 00:32
出版社勤務の友人から、零戦の生き残りの方の本を見せてもらいました。まだ刷りあがったばかりの新しい本です。
私は、戦争のことは全く知りません。ほとんど関心もありませんでした。
だから、今まで、ドラマで特集をやっていても、好んで観ることはありませんでした。
しかし、この本を読ませてもらって、初めて、生の特攻隊員の声に触れました。
前書きを読んで感激。

どういう人かと、もっと知りたくなって、すぐに著者の名前で検索して、ユーチューブで動画を見つけました。
あるテレビ局でインタビューされているものですが、すごい経歴の方で、驚きました。
南京、真珠湾攻撃、ミッドウエー海戦、ガダルカナル島争奪…、奇跡的に生き残ったゼロファイター。

著者の原田要さんは95歳とか。
原田さんが見た戦争。感じた戦争。戦前、戦中、そして終戦のこと。思うままに書いてありました。
次世代の人々へ、本当の戦争はどういうものだったか、伝えるのが生き残った自分の使命だと書かれています。
そういう方の書いた本を読んだ私も、この貴重な体験の書いてある本のことを周りに伝えていこうと、思いました。

真珠湾攻撃から70年。
こういった本を読んで、特攻の真実の姿、思いを知り、日本の将来について真剣に考えるきっかけになりました。
とても良かったです。本の名前は、零戦老兵の回想です。会員の皆様にもお薦め致します。
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眠る場所も還る場所も。
そら2011年09月16日 23:54
初めまして。初投稿です。

原発事故が起きてからの日本で特別攻撃隊員の御魂へすべきこと。

3月11日に原発事故が起きました。

海に汚染水が流され、地上には放射性物質が拡散されました。
原発事故を思うと自分は、涙が止まらなくなります。

まず、海には隊員の方々が眠られております。

地上は、故郷・故郷での思い出・戦友との約束。特別攻撃隊員の隊員さん、日本兵の兵士さんたちが残していった笑顔があった場所。家・御霊が還る場所です。

このままでいいのか?

隊員の方の遺書にあったとおり、故郷あっての家。

故郷である日本が汚されていったら御魂はどこに還ればよいのでしょう。

海も汚され、地上も汚され。思うと涙が止まりません。

日本が現在抱えてる問題、見てみぬふりはせずに一人一人が考え、答えを見つけ出さなければならない問題ですが、難しいのが現状な今の日本。

このような日本を見て、天国から出撃の準備をされているのではないでしょうか。

自分の文章がまとまってなかったら、すみません。

また反論等がありましてもお返事のお返事はいたしかねます。

今日はこの辺で。お休みなさい。

明日の日本が少しでも幸せに近づけますように。。
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正しい歴史認識が必要です
源朝臣.N2011年07月15日 01:21
戦後、連合国により改竄され今日まで多くの日本人が誤って(騙されて)認識し、一部(と信じたい)の日本人が悪用していることの代表的なものは、
『真珠湾攻撃が日本側の不当な奇襲攻撃だったこと』
『日本の降伏が無条件降伏だったこと』
『海陸特別攻撃隊(おもに航空)が片道燃料だったこと』です。

歴史を正しく公平に学べばこれらのことは簡単に『嘘』であることが認識できます。

真珠湾攻撃は旅順攻撃と全く同じく、攻撃が宣戦布告(ハルノートがアメリカからの実質的な宣戦布告であったという事実とは別に)であった(国際的に合法)こと。
条件無しの降伏では国体維持の保証が無く、未だ充分な戦闘能力と意欲を維持していた軍は降伏に応じられなかった(本土決戦を本気で考えていた)という事実。
関行男大尉は数度にわたり基地に引き返していること。『悪天候と充分な敵(空母)が認められなかったため』。

当時の索敵能力においては、そこに居るという敵の機動部隊を捕捉できない可能性は大変大きかったのです。その時に片道の燃料では航空機・パイロットともに無駄に海上に落ちてしまいます。当時の物資不足の中では最大の無駄です。そのようなことが現代の方々は常識的に解らないのでしょうか。
航空機特攻では初期・中期・後期で戦法(アメリカ側の応戦《VTの採用など》の変化により)に違いがあります。その中に、爆弾をあらかじめ敵艦に対して落とし、後に自機のみで体当たりを行うという戦法をとる航空機が存在するのが映像などで確認できます。その場合、爆弾を抱えていない機が何をもってダメージを与えるかというと、それはガソリンです。映像の中で特攻機が敵艦に当たった瞬間に、明るい炎が現れて敵艦を覆っているのはガソリンのみの体当たりです。黒い爆発炎が上がるのは、うまく爆弾が爆発した時です。その時のためにもガソリンは満タンである必要があるのです。
バンカーヒルという大型空母に突入した特攻機はガソリンの飛散で400名の死者、260名の負傷者を生じさせます。

この特攻という形の大和魂の権化が米軍にその後の戦闘に恐怖を抱かせ、鈴木貫太郎の脅しともとれる声明とも相俟って米軍に本土決戦を躊躇させ、終戦へ向かうのです。
決して原子爆弾が戦争を終わらせたのではありません。
それどころか、日本各都市への無差別爆撃の結果の市民の虐殺、文化財の破壊、原子爆弾による非人道的な市民の虐殺。これらは当時の戦争協定・国際法に完全に違反しており、これこそが戦争犯罪として断罪されるべきものです。

正しい歴史を教えられない日本人はやがて滅びます。あの夏の日まであと一カ月。靖国の御霊をこれ以上裏切らないためにも『凜として愛』をユーチューブで一度ご覧ください。
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再放送を・・・。
ぐっさん2011年07月14日 10:44
月日が経つのが早い・・・。間もなく終戦記念日。
以前、某番組で放送された『なでしこ隊・・・。』の話し。終戦頃には、戦争についての番組が放送されますが、何故か『特攻隊』の番組が少ないような気がします。

まだまだ、戦争についての資料が出て来ているみたいですけど『特攻隊』については、少ないのか、封印されているのか分かりませんが、少なさすぎると思います。
もう一度『なでしこ隊』の番組を観たいと思います。そして、少しでも、子供に『戦争・特攻隊・玉砕』など、知ってもらいたいです。
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鎮魂 そして日本人各位へ
N2011年07月08日 00:07
また災害が起きました。災害の大小が悲しみの大小を決めるということはありません。交通事故で身内を亡くすのも同じ悲しみです。  戦争も。

誤解を恐れず言いますが今回のことは阪神以来の一大事だと思います。あの時、村山を長とする?政権が、あの前年、周辺諸国への謝罪を表明しその直後の天災です。にも拘わらず、その年に『村山談話』なるものが出されるに至り、いまだにペコペコ外交が定着し、それが日本のスタンダードの如く今でも当たり前のように語られます。私はとても受け入れられずにいます。崇高な目的のために立ちあがり斃れた靖国の英霊はどのように思われていたのでしょうか。
一昨年、同じく?政権が生まれ、今度は、あからさまに日本売りの政策がなされ、国内外各方面に軋轢を生み、それでも国売り一辺倒をやめない中、賊からの献金を、そのトップが受けていたという中で今回の災いは起きました。英霊は怒っているのです。彼らの想いに添えば当たり前のことです。怒りの頂点です。

最近、数年前に特攻隊と靖国について書かれた著名な方の作文を目にしました。靖国に重点を置いたものでしたが、その中の特攻に関する記述は全く酷いものでした。あれでは隊員の人たちは浮かばれません。
誰にでも一つしかない命のことですので、その価値を言葉で説明するのは難しく、まして文章にすると稚拙なものになってしまいがちです。それを推して感じてほしいのは、特攻隊員たちが写真に笑って写っていることの意味です。前にも書きましたが、彼らの目指した『悠久の大義』がそこには在ります。後に続く同じ日本人の我々子孫に訴えているのです。だから笑えるのです。だから無理にでも笑うのです(私には無理に笑っているようには決して思えませんのですが)。笑って散っていることが彼らの死を崇高なものにしているのです。その微笑みは誰のためでも無い、自分たち『日本人の子孫』への『思いやり』と『愛』の結果に他ならないとつくづく感じるのです。

私たち日本人に欠けているのは土台です。土台のしっかりしていないところに上物をいくら豪華にこしらえても、それはいずれ崩れます。それが現代の日本人の姿です。個々の家が形成され、その結果、国家が形成されるための肝心の過去という名の土台を否定されているのです。先祖を敬えない家や国に未来はありません。

恐れを知らない生き方は、見えない物への畏敬の念を亡くしました。昔々の日本にはそれは当たり前のように存在したものでした。それを亡くしてしまった結果、日本人は昔の美しい心を亡くし、勝ち組・負け組などという醜い言葉に心を支配され、それが権力保持者の勘違いや潔くない言動にも表れているのです。

まもなくあの夏の日がまたやって来ます。またバカやアホやタワケという言葉では表せない醜い報道が、この特別な年にも繰り広げられるのでしょうか。15日でなくても良いのです。一度靖国神社に行ってみませんか。地方の方はそれぞれの都道府県にある護国神社で良いのです。私も良く行く京都の霊山護国神社は竜馬や維新の獅子が祀られている日本で最初の護国神社です。パール判事の記念碑への参拝もお忘れなく。

歴史を忘れた民族はやがて滅びます。そのような意味で現在の教員は万死に値します。なにせ嘘を公然と教えているのですから。その結果、情緒不安定で根っこのない拝金主義な子供を造り出しています。教師が拝金主義なのですからいたしかたありませんが。この自虐的な歴史観を孫や曾孫にまで押し付けるつもりでしょうか。そのような結果になったことに気付いていなかったとしても、それは英霊に対する裏切り行為なのです。
不幸なことですが、この日本では、学校で教えてくれない正しい歴史を日本人として個人で勉強する必要があります。これ以上英霊を裏切らないためにも正しい歴史を次の世代、その次の世代へと、永遠に伝えられるような国にしたいものです。

誰にでも平等にやがてはやって来る『死』。あの世で英霊の方々に会ったとき、あなたは日本人として彼等に胸を張ってあいまみえることができるのでしょうか。特に国のトップにおられる方々には心していただかなくてはならないことだと思います。

今を生きる日本人である自分たちがまず考えなければいけないのはそのことだと思います。
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母の涙
めり2011年05月11日 21:28
昭和元年生まれの母は、大切な青春期を戦争と共に過ごしました。生前の母は戦争について
何一つ語りませんでしたが、くも膜下出血で倒れる数か月前にテレビの戦争番組を見ていた時
突然ぽろりと涙をこぼしたのです。
 
子供の前で涙など見せたことのない気丈な母が泣いている、そのことに驚いている私に母は
今まで黙り通して来た大切な事実を語ってくれました。実は母には許婚者があったこと、そして
その人は特攻で亡くなってしまったと。その方の名前は教えてはくれませんでした。

母は許婚者が亡くなってから、長い間独身を通していましたが縁あって結婚し、私と弟が生まれました。しかし、その結婚生活は不幸なものでした。 結婚して十年後、父は他の女性のもとに走り生涯戻ってくることはなかったのです。

当時若かった私も、そろそろ五十路半ばとなり、母の心中を察する時やはり涙を禁じ得ません。きっと、母は特攻で亡くなられたお方の面影をひと時も忘れることは無かったのでしょう。 
それは、あの時母の瞳からこぼれた一滴の涙が証明しています。

戦争は様々な不幸を招来しましたが、すべてを恩讐の彼方へと忘れ去ってしまってはならないと
強く感じています。私事を犠牲にして、国家国民のために尊い命を捧げられた英霊に心からの感謝と慰霊の気持ちを持ち続けると共に、日本国民として誇り高く生きる事こそが亡き人々に酬いる道であると信じます。
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ご教示下さい
七生報国2011年04月13日 03:09
私は埼玉県在住の者ですが、数年間かけて、埼玉県中の特攻隊の本を全部読みました。その中のどの本か憶えておりませんが、敵艦に体当たりしたのですが、生きており、米軍に命を助けられ、捕虜となった後、米軍の病院で手当てをされ、昭和21年に帰国し長野県の実家に帰り、身体障害と精神障害になったまま寝たり起きたりの半病人となり、昭和26年に不遇の内に亡くなったという特攻隊員が居ります。この特攻隊員の氏名、階級、出撃日、部隊名をご存知の方が居られましたら、この掲示板にてご教示下さい。階級は一飛曹か二飛曹ですが、体当たり寸前に撃墜されて、助かった鈴木勘次さんではありません。
 話は換わりますが、ユーチューブで、撃墜されて海を泳いでいる特攻隊員に向けて、銃を撃ち、射殺している米兵を見ました。米兵にも色々居りますね。
特攻隊
幼き少女2011年12月12日 13:28
特攻隊・・・か・・・かわいそう戦争・・・だめだね
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「きっと後世につたえてくれ」
ハル2011年03月01日 15:00
私は昭和の終わりごろ、この世に生を受けました。勿論、戦争を知らない世代です。
私は平和が当たり前のように思い、生きてきました。そんな自分が恥ずかしいです。
戦争を知らない世代の私が「特別攻撃隊」のことを知りたいと思ったきっかけは、実家の本棚の奥にしまわれていた一冊の「特別攻撃隊」の写真集。
そこには、今を生きる人々にない澄んだ瞳、邪気のない笑顔の少年、青年たちが写っていました。でも、どこか悲しげな、瞳でした。

私は、彼らがなぜあのような瞳をしていたのか気にかかって、特攻に関する本を紐解いていきました。
特攻に関する資料を読んでいると、周囲がおかしな目で私を見ます。
周りは「戦争は遠い昔終わったのに何を今更」「軍事関係の本を夢中に読んでいる変な奴」などといい、特攻が行われていた事実、日本が戦争に参加していた事実から目を背け、なにより知りたがらない人が多いように思います。
ネット掲示板では、「特攻はテロと一緒だろ」などという書き込みを見かけます。
私はそのような書き込みを見つける度に憤り、また、特攻隊や戦争で亡くなった方々に本当に申し訳なく思います。同じ戦争を知らない世代として、情けなく思ってしまうのです。
「特攻隊の方々、戦争で亡くなった方々、ごめんなさい。貴方たちが命を賭けて作ってくれた日本なのに、戦後生まれの私たちは平和が当然のように暮らし、さも見てきたかのように暴言を吐き、本当に罰当たり。ごめんなさい」
心の中でいつも謝っています。

特攻隊はテロリストではありません。私は特攻隊の方々を誇りに思います。

特攻という行為はこれから先もあってはならないことですが、特攻隊の方々を戦後生まれの誰が非難できるというのでしょう。
真摯で清廉な魂。特攻隊員は、苦悩し、家族を愛し、故郷を愛し、熱い血の通う一人一人の生身の人間であったというのに。

八鉱隊の馬場駿吉少尉の「もし、貴様が生き残ったら、戦闘機が爆弾を抱えて体当たりしなければならなかった事実を、きっと後世に伝えてくれ。」
という言葉がずっと胸に突き刺さっています。
後世に生まれた私たちが、特攻の事実から目を背け、そして知ろうともしなかったら、特攻隊員の方々はきっと悲しむ。

私はこれからも特攻について「知る」ことを続けていきたいと思っています。
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若い世代に、如何に伝えるとよいでしょうか?アドバイスを・・・
善弘2011年02月11日 20:04
初めて投稿させていただきます。現在、中学の教員をしています。あと3年で定年を迎えます。私は、S28年生まれ、戦争を知らない世代です。しかし、私の叔父はレイテで戦死、また、私の中学、高校時代の先生は戦争、実戦体験者が多く、授業中によく戦争の悲惨な体験を聞き、いつしかその話に引き込まれ、自分自身でも高校時代から「丸」を購読しながら、その戦争の悲惨さを知るにつけ、自然と戦記物を読みあさり、特攻隊員のことも知るようになりました。
 私は、特に教師生活もあと残り少なくなる中で、今の若者があまりにも戦争のことを知らない、否、あまりにも戦争の悲惨さや特攻隊員が後の我々に託した想いを、教えてこなかったのではないか・・・伝えることを恐れてきたのではないか・・・もっと伝えるべきではないか・・・・・・という思いに、今かられています。
 特攻で散華した若き英霊たち、南方の島々で餓死した英霊たち、鉄血勤皇隊として爆弾を抱えアメリカの戦車に突入していった13から15歳の子どもたち、また本土空襲でなくなった銃後の守りの人たち・・・何百万の戦没者の誰一人として、無駄死にや犬死にはないと思います。なぜなら、彼らの死があってこそ、今の日本の平和があることが事実だからです。
 私は、今の中学生にこの事実を如何に伝えてやるといいのかを考えています。これは、ただ、昔の悲惨な歴史を振り返り悲しむだけというよりも、彼らが後の現代の我々に頑張ってほしいという、日本再生を託した死であったということを伝えたいのです。
 どなたか、そのような経験談やアドバイスの一つでもいただければ、参考にさせていただきたいと思い、投稿させていただきました。よろしくお願いいたします。
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青木 和子2010年12月19日 13:01
雪華社「神風特別攻撃隊の記録」中島正・猪口力平著
に掲載されている写真の人物を探しています。
ちょうど66年前の今日、昭和19年12月に台南基地にて訓練の合間に撮った写真で、前列右側の人と、その人の方に手をかけている後列中央の人です。彼らはこの後神風特別攻撃隊金剛隊として出撃します。
鹿屋基地資料館・靖国遊蹴館で探しましたがわかりません。
金剛隊で、予備学生13、14期あたりの中尉らしいということです。
雪華社も、印刷会社もすでになく、古書を扱っている出版社にいくつか問い合わせましたが、わからずじまいで、どうやってさがしたらいいのかさっぱりわかりまません。
何か方法があれば教えてください。
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