八幡神忠隊大石政則少尉(海軍飛行予備学生14期)の母の手記
(前略)
丁度その折、娘、禎子の夫、竹内大尉が朝鮮光州航空隊から諫早航空隊に転勤になり、夫妻で私の家に立寄っておりましたので、「政則ちゃん、あなたの居場所がわかったのでちょっと竹内夫妻に会って来て、直ぐに戻りますからね」と、出撃の気配を感じなかった私はうっかり申しました。政則はそうしなさいと言うように黙って深く肯きました。
私は後に知ったのでございますが、竹内大尉は特攻隊隊長を命ぜられておりました。同じ海軍軍人であった政則は早々とこうなることを予想していたのでございましょうか、自分の妹に軍人の妻としての万一の時の心がまえをその遺書となりました日記にも書き記してございました。妹思いの政則は娘が私と久々の対面をどれほどか楽しみにしているかを心の底で思っていたのでございます。それが「お母さん、行ってらっしゃい」との無言の返事だったのです。そのとき、政則は自分が”明日、出撃”と知っていた筈ですが、
私には一言もそのことを申しませんでした。おそらく、自分と両親との別れの悲しさよりも自分の妹が親に会う歓びの方を考えていたのでございましょう。
その朝、私達は前の日と同じように旅館の玄関へ向かう政則を見送りに出ました。外は霧雨でした。「お母さん、雨が降っているから此所まででいいよ」道まで出ようとする私達を政則は手で押えるようにして言いました。「お母さんはまた直ぐここに戻って来ますからね」
これが私が息子にかけた最後の言葉になりました。
そのとき、「お母さん、明日は出撃です」と一言洩らして呉れれば私は何事を措いてもそれを見送るまでいたのでございますが、息子は私の嘆き悲しむことを心配し、また、妹を歓ばせて上げたいとだけ考えていたのでございましょう。
旅館の前の道を真っ直ぐに歩いた政則は曲り角に着いたとき、初めて私達の方を振り返り、煙るような雨のなかで長い長い挙手の礼をいたしました。
軍服の肩に雨が粒になって光っているのが私の目に映りました。
これが私達が息子、政則を見た最後の姿でした。
「神風特別攻撃隊八幡神忠隊、昭和二十年四月二十八日、沖縄周辺ノ敵艦船群ニ体当リ攻撃ヲ決行ス」
息子、大石政則海軍大尉の戦死は海軍布告にこのように記されております。
今日の日本は世界中の国々が目を見張るほど栄えております。その日本のなかで政則と同期の生き残られた方々は立派な社会的地位を得られて国の繁栄を支えて下さいますが、ことあるごとに「戦死した僕等の仲間が叱咤激励して僕達を日本の復興にふるい立たせたのである」と申して下さるのを聞き、私は息子の戦死は決して無駄ではなかったのだと思い直しております。
生き残られた皆様は私ども遺族に温かいお心遣いをなさって下さり、毎年、懇ろな慰霊祭を行って下さることに英霊達はどれほどか喜んでいることかと遺族として感謝申し上げております。その方々も私が九十六歳を迎えますと同時にひとり残らず還暦を迎えられました。「益々お達者で国のためにお働らき下さい、国のために散って逝きました息子をはじめ、沢山の戦死された方々がそれを願っておるのです。」と、この老いの口から申し上げ、おねがいをいたします。
私もまだまだ永生きをして折あるごとに息子の想い出話をづづけとうございます。皆様、私の長い想い出ばなしにおつきあい下さいまして、ほんとうに有難うございました。
「はろばろと 来し方顧れば 天かけし
白マフラーの 子の笑顔顕つ」
九十六歳の誕生日を迎えて
大石トク 平成二年二月 佳日