名古屋空第一草薙隊時任正明少尉(飛行予備学生13期)の姉の手記
(「白雲にのって君還りませ/特攻基地第二国分の記」より)
(前略)
目を閉じると、今も尚昨日の事の様に耳許によみがえってくるあの声、あの笑い声。出撃の前夜だった。 「姉さん、いよいよ征きますよ。亡兄さん処へ。後を頼みます。しっかり後を頼みますよ」 と何時もと少しも代わらぬ、否それよりもっと落ち着いた静かな声が、はるかに遠く受話器にひびいてきた。
出撃の前夜!!それは四月五日の夜だった。廿三夜の月とて、餅をついて武運を祈る夜だった。役場の小使いさんが、真夜中急に「時任さん国分の息子さんから電話です」と知らせてくださった。先に父が起きて行った。しばらくして「息子さんがお発ちになるそうですから、
お母さんもきて下さい」と、また小使いさんが呼びに来られ、母も行った。最後は祖母と私だった”国分の息子”何か心に解せないものがあり、弟からだろうかと思い、まさか、と亦打消しつつ、月明かりの薄明るい中を、私は智子を抱き、祖母は当直の方にたすけられつつ役場まで歩いて行った。そして、「明朝早く沖縄に出撃する」という弟の声を聞いた。
真夜中の静まりかえった部屋の中に、祖母、父、母、それに私、思い思いの声が受話器にすがる。夢の中にいるような気持ち、だが夢の中の登場人物にはまだいくらかの感情がある。しかし、電話の前に並んだ私達には、感傷も感情もない。まして涙もない。只心残りなく征かしてやりたい、精一杯励ましてやりたい。その気持ちだけが、頭の中でたえず渦巻いていた。
最初父がたった。
「正明か、征っておいで。家の事は何も心配いらないよ。立派に戦っておいで。成功を祈る。決して見苦しいことのないように・・・・・・・」
と言った父に
「お父さんですか。何も思い残すことはありません。満足です。」
と答えたと云う。
次に替わってたった母に、元気のよい声で
「お母さんですか。この前、いろいろの送りもの有り難うございました。友達も皆大喜びで頂きました。今日は午後一時頃国分に着きました。明日は発ちます。お母さん、お体を大切に。おばあさんはお元気ですか」
ちょうどその時、祖母は風邪気味で寝込んでいましたが、
「お元気ですよ」
と答え
「正ちゃん、いよいよ征きますか。元気で行って下さい。明日何時に発ちますか」
と申しましたところ
「時間は申されません。荷物を農学校に頼んでありますから受取に来てください」
「それではこれからすぐ行きます」
「来られても面会はできませんから、飛行機でも見送ってください」
と答えたという。心急くまま祖母を当直の方にお願いして、一足先に部屋にはいっていた私は母と代わった。
「正ちゃんね。元気でお行きなさい。家の事は何も心配いりません。心残りなく戦ってください」
「有り難う。姉さん、明日はもちろん生還は期しません。義人兄さん(在満州)、良子姉さん(青島)も遠く、傍に居るのは姉さんだけです。万一のときは、おばあさん、お父さん、お母さんを頼みますよ。しっかり後を頼みますよ」
「大丈夫、大丈夫」
父も母も私も、他の言葉を忘れたもののように、同じ言葉だけを繰り返していた。
当直の人に手を引かれ、祖母もやっと辿り着いた。七十を越して、足元もおぼつかなかった祖母は、母に支えられて電話の前に進んだ。父が傍らから「おばあさん、これが正明の最後の電話ですよ。よく聞いておきなさい。涙声を出さないように・・・・」と言った。吾と吾が心を支えるように、祖母は生まれて初めての受話器をとった。
「正ちゃん。明日は発ちますか。行っておいで。そして元気で帰っておいで」と。
そして後は 「ウウ・・・・」とうなるような声になった。 それに答えた弟の言葉を私は知らない。父が「おばあさん、もういいですよ」と代わった。
七十有余年昔風に育ち、”陛下への忠義”という事を無上の栄光と信じ込んできた祖母は、いつかは征かねばならぬということは、常に私たちから聞かされ、覚悟はできていた筈、そしていよいよ明日発つという今、精一杯励ましてはみたものの、廿余年育んだ、断ち難い孫への愛情は、叶わぬ望みと知りながら「元気で帰っておいで」の一語に万感を托した。年老いた祖母のことばをどうして女々しいといえよう。「それでこそおばあさんです」と、かえってその心を労わってあげたい様な気持ちにおそわれた。(以下略)